腰痛が三年ほども続いていた患者さんがみえた。その方は痛みがあって腰が回せない方へ無理やり毎日我慢して運動していた。それをやめた翌日から腰痛は無くなった。
 腰の曲がったお年寄りが朝方の腰痛を訴えて来院された。腰がこれ以上曲がるのが嫌だからと仰向けで腰をまっすぐに伸ばして寝ていた。横向きでえびのように腰を曲げて寝るようにしてもらって腰痛は消えた。
 頸から肩にかけての激痛で夜横になることも出来ずに座ったままだと訴えた方は、痛みを我慢して頸や腕を回す運動をしていた。痛みの一番軽くなる姿勢での安静を守ってもらい快方に向かった。
 ジムに行ってトレーニングもやっているが何年も肩こりが治らないという方を診た。上を向くと頸、肩に痛みが出ることがわかった。 トレーニングが頸の負担を増して頸や肩の筋の緊張を作っているので、トレーニング・メニューを頸に負担のかからないものに変え、上を向く動作をなるべく避けるようにしてもらったら、徐々に肩こりは軽くなっていった。
 毎朝頸が痛むという。枕を高くしてもらったら痛みは出なくなった。背中が丸くなっているので枕を少し高くしないと頸に負担が来るのに、枕は低くないといけないと思いこんでいた。

 これらに共通していえることは「からだとの対話」が出来ていないことではないのかと思う。痛みはからだの注意信号、危険信号である。その信号がでないように行動すれば病は癒えていくはずである。 生体は自然治癒力を持っているのでそれを阻害しないようにすれば良いのだから。痛みを出さないようにする、からだが嫌がることをしない。これが病を癒す基本的なルールなのだ。
 病を治そうと努力した結果、より悪化させてしまう人が実に多い。それはからだに対する考え方に根本的な誤りがあるためではないかと思う。からだを思い通りに操作出来るというおごり、思い上がりがあるのではないか。 「内なる自然としてのからだ」はそうそう自らの思いどおりになるものではないということに気付くべきだろう。サムシング・グレート(大いなる何者か)と時にからだを通じて対話をしなければなるまい。