平成15年5月25日に柳田國男記念伊那民俗学研究所の総会の記念講演「生と死の民俗」で新谷先生は宮田先生の霊にとり憑かれた話をされた。 なかなか治らない左足の激痛はきっとお世話になった宮田先生が憑いているのだから、 書くことを躊躇していた宮田先生の論考「ハレ・ケ・ケガレ論」への反論を書き終えた時に治るだろうと身近な人に言っておき、そのとおりになったというお話だった。

 講演後の直会で「私が診ていればもっと早く宮田先生を取って差し上げたのに」と半分本気で申し上げました。 病は文化的な面が大きく(疾患の定義さえ文化的です)、臨床での病人へのアプローチは百人百様だと考えているからです。

 例えば急性腰痛(いわゆるぎっくり腰など)、このポピュラーな疾患に腰部椎間板ヘルニアなどと病名をつけたりしますが病態はほとんど解っていないのです。ですから治療法は経験的にならざるを得ないのです。 経験といっても個人的なものだけではなく、学会で認められていない特定の論理によるものも多いのです。

 しかし病態が解らなくても、治療法がいろいろでも急性腰痛の多くは四週間以内に90パーセント以上が治ってゆくのです。多くのコモン・ディディーズ(普通の病気)もこんな傾向にあると思われます。

 「近代医療が治療している患者のうち80パーセントはほっとけば治る病気、治療してもしなくてもそれで良くなっているわけでもなく、勝手に落ち着くところに落ち着いている。 10パーセントをやや上回る症例で劇的に効果、残りは悪くしたり不幸な結果を招いている。」とイギリスの権威ある医学雑誌に載ったそうです。

 医療の有効性を判定する方法の統計的手法、(ランダム化臨床試験)で有効とされている薬は10パーセント未満で、90パーセント以上は有効だと信じられて使われているのだそうです。 プラシーボ効果も30パーセント以上に及ぶといわれ、技術信仰の強い現代社会では外科的な治療法はその効果も高いと言われています。これが医療の実体なのです。

 最近「物語医療」NBM(narrative based medicine/物語に基づく医療)ということが言われ始めました。 聴くこと自体が治療的価値を持つことや患者が病の解釈をすることがケアの促進になることなどから発展したものです。 EBM(evidence based medicine/証拠に基づく医療)による臨床の場面での科学性の強調しすぎなどの反省から、患者さんの価値観による病や人生について語る生の物語=life narrativeに耳を傾けていこうというのです。

 これは医療における民俗学的アプローチだと思いました。NBMはEBMの補完だと言われていますが、臨床においてはNBMの方が大切ではないかと考えています。

 病院で原因が判らず治らなかった新谷先生の足の痛みは、別に診断がつかなくても良いのです。典型的な所見は無く、悪性のものもなかったから診断がつかなかったのでしょうから。 新谷先生が納得?された解釈を尊重して新谷先生と共に癒す方法を見つける方が大切です。その時に、原因は宮田先生が憑いているのだとお話していただける状況を作れるかが問題になりましょう。 そのお話を受け止めた上で足にかかる負担を軽減する方法など生活の指導をさせて戴き、早く論考を書き上げるよう激励するかもしれませんし、 仕事を中断して春秋苑の宮田先生の墓前に額づくことをお勧めするかもしれません。それは足の激痛で論考を書き上げることを促進させる「病の価値」を肯定的に捉える方法と、仕事から離れて身体的、 精神的ストレスの解消を行う、ハレによってケガレを払う行為(ハレ・ケ・ケガレ論ですが)と言えます。

 「物言いの蓄積」(新谷先生の講演)を臨床の場面に応用し、また病の真の原因である現代の病理を解き明かしてゆく、それが「病の民俗学」の使命といえるでしょう。

参考文献
『文化現象としての医療』医療人類学研究会編、メディカ出版
『文化現象としての癒し』佐藤純一編、メディカ出版
『100問100答 医療の不思議』佐藤純一編、河出書房新社
『成人の急性腰治療ガイドライン』米国連邦政府厚生省、日本カイロプラクティック評議会
『ナラティブ・ベイスト・メディスン 臨床における物語と対話』T・グリーンハル他編、金剛出版