温泉の偽装が発覚し休止していた白骨温泉の野天風呂が再開された。テレビでは温泉の客が「ありのままが良い」とコメントしていた。

 各地の偽装が発覚した後、温泉の適正表示が指導されるようになったが、温泉の成分表示の効能って本当なのだろうか。温泉成分の実験的効果は確認されていても臨床的効果には疑問符が付くのではないだろうか。 癌患者が大挙して訪れる玉川温泉の効果も医学的には疑問視されている。効果はゆったりと温泉に浸かる心地よさや、大自然に抱かれる岩盤浴の行われる場にあるのではないだろうか。

 膝の痛みで来院されていた中年のご婦人がカナダ旅行を心配されていた。でも旅行中は痛みが出ず、帰国一ヶ月後に膝の痛みが再発した。腰痛でみえていた看護婦さん、尾瀬のハイキングを躊躇されていた。 痛み無く行ってこられたが、1ヶ月ほどして腰痛が再発した。

 どうもからだの負担は日常生活の方が大きいようだ。今までの例では、中年女性の膝痛は旅行で軽快する例が多い。 日常生活で立ったり座ったりの繰り返しで酷使されている膝痛は上げ膳据え膳の効果で消えるのだろう。日常生活から離れ、からだの使い方やこころのありようの変化が病を癒すのではないだろうか。

 民俗学では日常をケといい非日常をハレという(ハレは晴れ着などと使うハレです)。温泉の効果もその成分によるものではなく、非日常の場や時の力、ハレの治癒力によるものなのだろう。 医療人類学では病院への入院も神社へのおこもりと等価に考えられる。立派な設備の病院は格式のある本社と同じご利益がある。入院もおこもりも非日常の時空間に心身を置くことだ。

だからケの場である自宅の風呂で、温泉成分の入浴剤を入れて浸かってもあまり効かないのではないか。温泉は成分表示云々ではなく、ハレの空間、時間をどう演出するかが問われているのだろう。